今日はとっても重い事を書こうと思います。あまり興味がない方は、読み飛ばしていただいて結構です。また、途中で読むのをやめていただいても構いません。
この一週間で抱いた感情や出来事をいつまでも忘れないように書くので…
先週の火曜日に僕の弟が交通事故で亡くなりました。連絡を受けた時から、今日帰ってくるまでの事を書きます。
[火曜日]
明日は、遂に修士論文本審査の発表日。ようやく論文の体裁が整い、研究室で発表資料をK教授にチェックしてもらっている最中でした。突然、父の携帯電話から着信がありました。母からでした。午後9時16分でした。
母 「……弟が………事故で……………亡くなったから……帰ってきて欲しい」
忙しい時に電話してきた事に苛立ちを覚えていた僕は、母の言葉を聞き徐々に頭の中がぽかーんとしてきました。そして、次第に状況を把握し始めます。
僕 「…わかった………でも明日修論の発表があるから、それが終わったらすぐに帰るよ………元気出して。」
母 「……うん……」
電話を切った後、自分は何をすべきか考えました。しばらく考えた末に、僕は一つの結論を出しました。
(ここで、修論を捨ててしまったら、弟が悲しむ。今は、事実を受け入れるのを拒否して、修論に専念しよう)
頭ではわかっていても、気を抜くといろいろと頭を過ぎってしまいます。そこで、音楽を聴いて紛らわそうと思いヘッドフォンをつけてみたんですが、音楽を聴く気になれない…
それからは、度々込み上げてくる感情を必死に殺して、頭を修論モードにしました。何度も何度も…
頭の中は整理できても、体は正直に反応するもので、母からの連絡があってから、徐々に体中に悪寒がしはじめました。
しばらくして、K教授が来たので、廊下に出て事情を伝えました。K教授は僕を教授室に案内してくれました。K教授がF教授 (研究室のボスであり、指導教官である方)に連絡をして、修論発表の日程を変更できるかについて相談してくれました。最終的に僕が「明日やる」と言ったので、発表は予定通り行なう事となりました。
その後しばらくシートを直してから家に帰りました。深夜1時過ぎです。家に帰り、下宿で用意してもらった夕食を食べていると、さっきまでこらえていた感情がどんどん込み上げてきました。我慢できず、布団の中で泣きました。一度泣き始めると、込み上げる感情をコントロールできなくなりました。そして、しばらく泣き続けました。
涙がおさまったので寝ようとしたんですが、次々といろいろな事を考えてしまい、この日は明け方まで眠れませんでした。
[水曜日]
朝起きて、下宿のおばさんに事情を説明し部屋を空ける事を告げ、実家に帰る荷物を持って学校に行きました。発表までの間に、帰りの新幹線の予約をし、修論の製本を研究室の同輩にお願いし、発表に臨みました。
発表はなんとか終わり、研究室に戻ると新幹線の出発時刻まで30分。
研究室の先輩が、急いで車を出してくれました。帰ろうと思ったとき、F教授に呼び止められ、『研究室一同』と書かれた香典袋をもらいました。
込み上げてくる感情を抑えながらお礼を言ってエレベータに向かうと、研究室の仲間がエレベータを止めて待っててくれました。下に着くと、先輩が車を出して待っててくれました。僕はそれに乗り、駅に送ってもらいました。
(人前では涙は見せない)
と固く自分に誓っていたんですが、発表が終わり緊張が解けた僕は、研究室の皆さんの優しさを思い出し、車内で涙が止まりませんでした。
駅に着くと急いでチケットを発券し、ギリギリセーフで新幹線に乗車しました。弟との思い出や、残された家族の事を思い、移動中も僕は窓の外の景色を見ながら"めそめそ"と泣いていました。
駅に着くと、母方の伯父ともう1人の弟が迎えに来てくれました。親に詳しい事情を聞く前に僕は二人に事故の状況を聞きながら、実家に向かいました。
いつもは何気なく入っていく実家が、この日はとっても小さく見えました。そして、
- 弟の死を受け入れないといけない
- 親の悲しむ顔を見ないといけない
って気持ちから、実家に入るのが怖かったです。
家に入ると、九州に住んでいる父方の祖父母と叔父・叔母、そして静岡に住む母方の祖父がいました。弟の眠る棺の前に座った僕に、祖父は、
「いい顔してるぞ」
と言いました。棺の窓から覗くと、そこには紛れもない弟の顔がありました。ただ、その顔には血の気がなく、耳は黒ずんでいました。
しばらく傍に座っているとまた感情が込み上げてきました。我慢できずに、僕は誰もいない二階の寝室に行くと、弟と母が後から付いてきました。二人に最後に弟にあったときの事、最後に電話したときの事を話をして三人で泣きました。
その後は、親戚の方々にいろんな話を聞きました。父とは、葬儀の話をしました。一日気を張っていたためでしょうか、眠くなった僕は弟と一緒に二階で眠らせてもらいました。ろうそくとお線香は、九州の親戚が交代で起きて見てもらいました。
布団の中に入り、目を瞑ると記憶がよみがえり、その度に鼻をすすりながら泣きました。その音を聞いて、今度は隣で寝ている弟が鼻をすすり涙を流しました。
(17歳の弟にとって、兄の突然の死はあまりに重過ぎる)
弟のすすり泣く声を聞きながら、
(明日からは自分がしっかりと両親と弟を支えなければ!)
と思いました。
[木曜日]
この日、夕方から催事場を使って通夜が行なわれました。通夜が始まるまでの間は、家で親戚の話を聞いていました。父方の親戚はとても賑やかな方ばかりで、沈んでる僕ら家族の気持ちを和ませてくれました。なので、出棺の時までは、家族みんな笑って過ごしました。
出棺の時刻が来ました。近所の方々がみんな集まって下さって、お別れをしました。僕は弟の眠る棺の横に座り、一緒に霊柩車で催事場に向かいました。出発のクラクションの音を聞き、これでもう弟は実家に帰ってこないんだと思うとまた涙が流れました。
催事場に到着し、控え室で休んだあと、親族は通夜よりも少し早く着席させられました。お坊さんが来て、言いました。
故人との日々を思い出し、思いを巡らせてください
弟との思い出を改めて振り返ってみると、昨日までに思い出せなかったものがたくさん蘇って来ました。
通夜には、弟の友人が沢山来てくれました。小中高、専門学校、アルバイト先、研修先、職場。棺の前に立って、ずっと弟の生前の写真を見つめる友達の姿に、家族全員涙が止まりませんでした。
弔問される方々が途絶えたので、僕と弟は祖父を連れて実家に帰りました。明日の告別式に、家の方にも弔問者が来られてその準備をするためです。通夜で沢山泣きすぎて頭が痛くなったので、この日は早く寝る事にしました。
夜中目が覚めたので、布団の中で告別式の事を考えました。帰ってきてから弟の体に触れていないので、最後に触れたいと思いました。そして、別れの言葉を考えていました。この日も沢山涙を流しました。
[金曜日]
朝起きて、実家の方の準備をした後、催事場へ向かいました。家では、近所の方が来て葬儀のお手伝いをしてくれました。家を出る時、近所のおじさんが車のドアを開けて、
「嫌でも顔が見れなくなるで、しっかり見とくんだよ。」
といわれました。
催事場に着くと、母は袴に着替えていました。控え室で食事を摂ってから、家族みんなで棺の前に行って、弟の顔を見ました。先ほどおじさんに言われた言葉を思い出し、僕は弟の顔を焼き付けようとしました。
葬儀が始まりました。お坊さんは、
お葬式と言うのは、仏様の弟子になるための儀式
である、と言ってました。でも、僕らにとっては弟との最後の別れ。催事場に音楽が流れ始めると参列者の最前列にならんだ僕ら家族は、ハンカチを取り出し次々と出てくる涙を拭いていました。
お経が終わり、棺が開けられ弟の周りに花が置かれました。僕は、その時に弟の頬にそっと触れました。あの時の感触は一生忘れられません。
花を飾る時に、友達が色紙や手紙を持ってきてくれました。弟を大切に思ってくれる友達の優しさに触れて、また涙が溢れてきました。
葬儀の中で、一番辛かったのが、最後にある喪主である父からの挨拶でした。家に駆けつけてから、一度も僕の前で涙を見せなかった父が、泣きながらお礼の文章を読み上げる背中を見るのが、辛くて辛くてたまりませんでした。
葬儀が終わり、出棺の時がきました。僕は弟の写真を持つ役を任されました。棺が霊柩車に運ばれ、クラクションが鳴らされ、火葬場に移動を始めました。
火葬場を出た頃は、とにかく悲しくて涙が溢れてばかりだったんですが、30分近くの移動時間にぼーっと外の景色を眺めているうちに、弟の死というものを徐々に受け入れられるようになってきました。
火葬場で、弟との最後の別れがありました。弟の顔を見ながら、昨晩考えていた別れのメッセージを伝えました。心の中で。
遺体は1時間ほどで焼けて骨になりました。昔は、親よりも先に死んだ場合、「親不孝」という事で両親はお骨揚げに参加しなかったらしく、母は出ないと言ってました。でも、
「弟に触れるものは全てやっておいた方が後で後悔しないと思う」
と僕が言ったので、母も参加しました。このときの僕の発言が適切であったかは、未だによくわかりません。でも、その時の僕の中では、それが正義であった事は確かです。
お骨は一つ残らず骨壷に納められ、僕らは催事場に戻りました。すぐに三日目と言う儀式を行ないました。これは、
仏様の元で修行するための準備をするための儀式
だそうです。ここでは、お経が渡されてお坊さんと一緒に、30分くらいお経を読み上げました。
全ての儀式が終わり、最初からずっとお手伝いしていただいた近所の皆さんにお礼をしてから、親戚が集まって食事を振舞いました。でも、つい1, 2時間ほど前に火葬場で食事をとったばかりだったので、ほとんど食事には手をつけずにみんなで包んで持って帰りました。
催事場で行なう全ての事が終わったので、荷物をまとめて実家に帰ってきました。実家に荷物を降ろすと、主な人達でお寺に行きました。実家から車で5分のところにあるお寺です。
お寺でまたお焼香をしました。今日一日で4回くらいしたと思います。弟は、このお寺にお世話になる事になりました。お経が読み終わり、応接間みたいなところに案内され、和尚さんにこのお寺の話や、四十九日までにやるべき事、お墓の事を聞いて帰ってきました。
家に帰ってから、お墓の話になりました。
和尚さんは、檀家を増やしたいからお墓の事を言ってくるかもしれないけど、将来お墓を管理する子供が実家を離れたら、誰がお墓の面倒を見るのかを考えてお墓の場所を考える必要がある。
今まで地元に戻るって事は考えた事もなかったんですが、このとき初めて地元に住むって事を考えました。この日は、将来どうするかについてずっと考えていました。
[土曜日]
正午、遠くから来てくださった九州の親戚が帰りました。弟が亡くなった日の午後6時に父が電話したら、急いで翌日の午前4時に家を出て駆けつけてくれました。告別式までの間、交代で夜中お線香を絶やさないでくれました。
そんな父の兄弟を見て、兄弟って頼りになると思ったし、自分ももう1人の弟ために、いざと言う時駆けつけようと思いました。
父方の親戚が帰って、家に残ったのは家族と母方の祖父。父は部屋に篭って香典の帳簿を黙々とつけていました。こういう作業が好きな父です。僕らは、片付けをやっていました。
この日の夕食は、とっても楽しかったです。話題は、兄弟について。父の兄弟の話、祖父の兄弟の話。最後に母の兄弟の話。しんみりした感じではなくて、昔に兄弟喧嘩をした話だとか、いろいろと。おそらく、ここ何年かで家族で一番盛り上がったと思います。
[日曜日]
両親の職場や僕の研究室、弟の学校への香典返しを母と買いに行きました。車の中で、亡くなった当日の話を聞きました。
- 会社にいる時に電話が来て、両親で急いで長野に駆けつけた事
- 長野の催事場で、両親二人で一晩中眠れなかった事
- 長野で焼いていくかと聞かれたが、家まで遺体を運んできた事
そして、母がぼそっと言いました。
「やっと弟が死んだって事が受け入られるようになってきた」
家に帰ってきてから、部屋を片付けました。今までずっと放置してた捨てるべきものを片付けていたら、昔の写真が沢山出てきました。家族5人でいろんな所に旅行に行ったときのものでした。一枚一枚写真を見ているだけで何時間も時間が潰せました。
(思い出は形に残さないと!)
改めてそう思いました。
今日から、またもとの生活に戻ります。この一週間で思ったことを忘れないように生活していきたいと思います。
お世話になった皆様、本当にありがとうございました。沢山の人に支えられて、弟も僕も本当に嬉しいです。
最後まで読んでくれた人、本当にありがとうございました。明日からは、またいつものようにくだらない日記を書いていこうと思います。
では、失礼します。
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